恒例都筑オーケストラ・ニューイアー/ガラコンサート

都筑オーケストラ・ニューイアー・ガラコンサートが近くのハウスケアで開催された。ここは住宅の展示場だが立派な家が多い。

昔会社で一緒だったNさんが今回から第1ヴァイオリンになった。曲目はベートーベンの交響曲第4番とウィンナワルツだった。交響曲第4番は第一楽章のかなり長く続くピチカートは合わせるのが大変だろうと思った。派手な3番と5番に囲まれて地味な曲を良くひきこなしていた。楽しい曲になっていた。

ヨハンシュトラウスの「美しく青きドナウ」は演奏開始前に指揮者の方から曲の出初めのトレモロについて解説があった。トレモロがあるとないとで引き分けてくれたので、トレモロでウィーンの夜のおどろおどろしさを微妙に表現しているのが良くわかった。ウィーンフィルのガラコンサートと同じく、アンコールは「ラデッキー行進曲」で盛り上がった。

冬のパリ旅行8(市内観光でスリに会う) 12月25日

今日のクリスマスは大半の店が休みだと聞いたので、遅く起きてパリ市内をゆったりと回ることにした。先ずノートルダムへ行こうとしてメトロに乗った。最初のメトロ空いていた。乗り換え先のメトロは混んでいた。乗って中へ入ろうとしている時に女の子から声をかけられた。「シャルルドゴールはどこか?」と言っていた。「なんで観光客に聞くのかな」とぼんやりと考えていたら、なんと「財布が落ちていた」とその女が告げて私の財布を差し出した。「ありがとう」と言って受け取ったがどうもおかしい。尻ポケットへ入れていたが、落ちるはずがなかった。駅を出てから財布をチェックしたら中に入れていた日本円で5万円がなくなっていた。先程の女は擦りだったのだ。

妻もチェックしたらポシェットから財布を取られていた。然もその財布を投げてよこしたそうだった。カードはいずれも手が付けられていなかった。

パリの地下鉄ではどこの駅でもフランス語のアナウンスに続いて必ず「日本語で」すりにご注意の警告がなされていた。不思議だなと思っていたが納得した。

ノートルダム寺院のミサを見に行った。すごく沢山の人が並んでおり、ミサの様子は大型のスクリーンで中継されていた。

ノートルダム寺院とミサの中継

ノートルダム寺院付近の立派な建物(法務省?)

暫く中継を見て、メトロでモンマルトルへ行き登山電車で山に上がった。サクレクール(聖心)寺院を見て、一段降りて左回りに歩いて、ブドウ園やシャンソニエ「ラパン・アジル」まで行った。更に上に上がりテルトル広場へ出た。食事でもと思ったが適当な店がなくモンマルトルの丘を降りた。

丘の下のメトロ駅まで歩いてマドレーヌ寺院へ行った。広場近くのレストランで昼食を取り、4時からのコンサートへ行った。

パイプオルガンの演奏が中心だった。音量が大きすぎてまるで騒音状態だった。2,3日前にここで聴いたコーラスは素晴らしかったが今日のワーグナーのタンホイザーは良くなかった。残響を考慮して弾いている様子だがテンポが遅すぎてワーグナーの曲とわかるまでに時間がかかった。「原曲を無視して弾くなよ」と思った。あまり面白くなかったのでホテルへ引き返した。

7時過ぎにエトワール近くのミシェラン星一つの店へ夕食を食べに行った。ラッフルズ系列ホテルのレストランで、内装は実に豪華だった。いつも量が多すぎるのを心配していたがなんとここのオードブルはネズミに喰わすほどしか出てこなかった。しかもインパクトの無い料理だった。これでもうわかった感じだった。

シャンデリアばかりが立派でバカラのショウルームと見まごうばかりだ。料理を写さないでシャンデリアばかり写した。

メインデッシュはカモの料理とタラの料理をオーダーした。カモはまあまあ美味しかったがタラは落第だ。妻はミシェラン一つ星なのにおかしいと怒っていた。ここは内装で勝負しているようだ。トイレのドアは両面に大理石が貼られ1トンもあるような頑丈な作りだった。トイレ関係の陶器は日本のTOTOだった。我が家と同じだ。

明日は帰国なので荷造りをして寝た。「終わり良ければ全て良し(All’s well that ends well.)」とは行かなかったのがちょっと残念だったが・・・

冬のパリ旅行6 (モンサンミシェル) 12月24日

今日はクリスマスイブだ。いつもより早く起きて9:30集合のパレロワイヤル駅前広場へ行った。高速をパリから西へ200㎞ほど走って、フランスで認定された美しい村の一つ「ブヴロン・オン・オージュ村」で昼休み休憩を取った。連日食べ過ぎでいたので、アップルパイパンだけを食べた。ここは有名なリンゴとシードルの産地だ。ミシェランの一つ星レストランがあると聞いて見に出かけたがお休みだった。冬はやっていない様子だ。

村役場、TABAC、17世紀の古い木造の家、オミヤゲヤ、雑貨屋さん、カフェ、パン屋、バー、クレープ屋、おもちゃ屋、酒屋がありそれがすべてだった。人口200人の村だ。

更に2時間以上走ってモンサンミシェルが見える地点までたどり着いた。暫く走って駐車場に付き、そこからはシャトルバスで門の前1㎞先まで着いた。

フランスは平らなので遠くからでもモンサンミシェルが見える。

モンサンミシェルは島の周りに溜まった砂を流すために歩道に代わって歩道橋を建設する工事の真っ最中だった。「海の中に浮かぶ中世の孤高の修道院」というイメージで来たので一寸がっかりした。どの観光地でもそうだが一番条件の良い日に一番良い角度から写した写真が観光ポスターに載るので観光客がそのような景色を見るのはほとんど不可能だ。

「砂の泥に埋まった壊れかけの古代のお城」が第一印象だった。遠くからも分かる壊れたところが2カ所見えていた。アバンセ門(王の門)から入った。

高い所は海抜約100mで階段が400段ある。ガイドが一番急な坂道を選んだので腰痛の身としては辛かった。門前町から幅80㎝位しかない道へ入り、急な坂を上った。身体を斜めにしないと両脇の壁に当たってしまう狭さだ。太って体格の良い欧米人はここを通れない。暫くなんぎしながら登ったら修道院入口(チケット売り場)へ着いた。これから先は比較的楽だった。

西のテラスからは海が望めた。修道院付属教会からイスラム風の回廊(パティオ)へ出た。柱が2本ずつ並んでおり、少しずつずらされて配置されているために歩くと微妙に景色が変わる。次いで食堂へ行った、突き当りのみに窓がある部屋だ。歩いていると部屋の両側にも窓が見えてきた。円柱が大きくて最初は見えなかったのだ。寂しい島の無聊を慰める仕掛けなのだろうと思った。食堂の下に貴賓室があった。

左から回廊、食堂、そして貴賓室

これもイスラム風で柱と天井がアーチで結ばれていた。個性的な造りだ。サントマドレーヌ礼拝堂、そして巨柱の間があった。直径2メートルもある巨石が10本ほどもあり、柱となって上の階を支えている。多分これ程のものは不必要だろう。神の名のもとに行えば何でも可能だったのだ。次いで大車輪の間だ。車輪の中へ人が入りモルモットのように動いてリフトを動かして荷物を上げるのだそうだ。人力貨物エレベータだ。サンティティエンヌ礼拝堂から散歩の間(運動不足解消のため)そして騎士の間(ここで修道士が写本や細密画の制作をした)そして天井までの大きな暖炉を見て下へ降りた。

人力貨物エレベータとサンティティエンヌ礼拝堂

回りの海(夕日で輝いていた)

帰り道(行きより景色が良く見えて楽しい)

ビューポイントを通り、一寸遠回りして大道理へ出た。予め夕食はオーダーしておいた。ラム焼肉、ムール貝とビールの夕食だった。席に着いたらすぐに料理が出てきた。

門前仲町の風景とレストラン

今日はイブなので従業員は早く帰りたいのだそうだ。食べ終わるか終らないのに「Finished?」と形だけ聞いて皿を下げて行ってしまった。サービス精神やCustomer Firstの思想は全くない。自己中がレストランをやっている。1億人近くの観光客がいつまでフランスへやって来るのか疑問だ。

モンサンミシェルの夜景。これを見るために遅い時間のツアーを選んだ。だが大したことはなかった。

帰りのバスでは爆睡していたらいつの間にかパレロワイヤル広場まで着いた。23:20になっていた。旅行社にホテルまで送って貰った。

安蔵正純